こんな時代もあったのだ!超売り手市場の就職活動【バブルの就活】

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雑談

先日新聞を見ていたら今年の就職内定率が10月時点で60%台と言う記事が載っていました。

これってかなり低いですよね。

100人のうち40人弱が内定先が決まってないことになります。

去年は超売り手市場と言われていたことを考えると、今年の就活生は運が悪くかわいそうですね。

1年遅く生まれただけで就職先が無い。

この先の人生を考えたら就職は一生を左右する大事な事の一つなのに。

不運としか言えません。

404 NOT FOUND | 無職予定者から無職のゆるい生活
無職は恥だが役に立つ

それで思ったのですが、自分は運がよかったんだなあと。いまでは考えられないような状況でした。

例えるなら、昔話の桃太郎が鬼ヶ島に鬼退治に行って返り討ちにあったようなものです。

ありえね~

内定率100%、いや300%くらいあったのではないでしょうか。

1人が内定を10社くらい貰っていたような気がします。

わたしでさえ2社はあったように記憶しています。(10社が普通だったのに、くそ少ないクズです)

履歴書を書いて出したら受かるくらいです。

もしかしたら、私の飼っているねこでも受かったかもしれません。

たま
たま

きっと受かった。

就活生には天国みたいな、そんな狂った時代でした。

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バブルの平成2年から3年の就職状況

私が就活をしていたのは平成2年から3年の間、西暦で言えば1990年ぐらいです。

今から約30年前の事です。

20代・30代の人は分からないと思いますが、景気が非常に良くみんな浮かれていた時代です。

今では宇宙の彼方に消滅してしまいましたが、ジュリアナ東京が全盛期でした。

物は作れば売れるし給料は右肩上がりで、将来の不安が全く考えられない、このまま好景気が続いていくみんなそう思っていました。

だから就職もみんな楽観的になって、今みたいに就職の対策とか勉強なんて全くすることなく就活をしていた記憶があります。(一部公務員試験を受ける人はもっと早くから勉強してました)

就職活動をしていたのは、みんな大学3年の終わりから4年の頭くらいのほんのわずかな期間です。

最短1日で終わらせた猛者もいます。(実家を継いだだけですけれども)

それぐらい就活は簡単な事でした。

掛け算の七の段を覚えるくらいの難易度です。

○○大学卒

それどこっていう大学でも、就職出来ました。

今からは考えられない異常な就職活動

取り敢えず受けれるものは受けてみる。

業種もいろいろで 製造業 小売り業 卸し業など 一貫性なし。

詳しく言うと銀行 証券 車 呉服 スーパー デパート テレビ関係などあらゆる業種を受けていました。

志望動機もあったもんじゃありません。でもみんなこんな感じでしたよ。

ちなみに、わたしは私服で面接に行った事があります。(就活をなめてました)

選考方法も今と少し違ってESなんてありませんでした。

会社説明会に行ってそのあと履歴書を書いて応募する。

そのあとはだいたい今と同じ流れでしょう。

  • 筆記
  • 一次面接(集団)
  • 二次面接(個別)
  • 最終面接(役員)

こんな流れだったと思います。

下手したら、間をぶっ飛ばしてこんな感じのところもありました。

  • 筆記
  • 最終面接(役員)

これって今じゃブラックじないかと疑いますよね。

でもちゃんとした大手の会社でもこんな感じの所もありました。

なにせ大量採用の時代ですからね。

内定の数も多い人で10とか20とかもらっている人もいました。

少ない人でも5社くらいはあったような。(わたしは2社ですが、なにか問題でも)

考えられないかもしれませんが、学生に接待なんてことも日常茶飯事で行われてました。

食事に連れて行ってもらったり、飲みにも連れて行ってもらった事もあります。

連日飲めや歌えの大宴会

入る前は天国、入ってからは地獄が待っているのですけれども。

そういえば、就活してお金をもらった事もあります。

お車代と称したあやしいお金。

いい時代でした。

某百円ショップの場合

私は百円ショップの会社に応募したことがあります。

今では誰でも知っている大きな会社ですが、その当時は知名度もなくまだ会社が設立されて間もないころでした。(こんなに大きな会社になるとは・・・)

電話して会社に行ったんですが、倉庫のようなプレハブの建物の中で今では超有名な社長(現会長)が率先して働いていました。

色々話を伺ったんですが、しばらくして「じゃあ仕事一日見てみますか」と言われ「何々さんお店に連れて行ってあげて」「じゃあ行きますか」と言うような流れで営業の人と車で出ることになりました。

今は全国各地にお店を構えていますが、その当時はスーパーなどの店先に出店してこじんまりと営業していましたね。

1~2ヶ所回った後「お昼食べましょう」と、なんだか高そうなお店に案内されてステーキをごちそうになった記憶があります。

もう一軒回った後会社に戻ったんですが、夜も食事をごちそうになり更にお車代もいただきました。

こういう事って今でもあるのか分かりませんが、当時はほかの会社でもそんなことが多々ありました。

この会社はそれきりで面接には行かなかったんですが、今思えば受けとけばよかったかなあと思います。

まあ、わたしはポンコツなのでどこに行ってもダメだったかもしれませんけど。

研修と言う名の2泊3日の接待旅行

現在こんな状況でも内定を貰っている方もいると思いますが、私の時代は内定後に内定者全員が集められて2泊3日の旅行に連れて行ってもらうという事が普通でした。

研修と言うのが建前なんですが、今と違って携帯も普及してなかった当時、他の企業と連絡を取れなくするため隔離するのが目的です。

研修とは名ばかりでただの観光ですね。

またまた飲めや歌えの大宴会

今はあったとしてもコロナで旅行なんていけませんが。

まあそれぐらい企業は人集めに苦労していたのです。

これは一部の企業だけじゃなく、多くの企業で日常茶飯でした。

内定⇒研修旅行⇒隔離⇒入社

こんな流れですかね。

学歴フィルターは無かった

よくECなんかで学歴フィルターが存在すると言われていますが、当時はどうなんでしょう。

あまり関係なかったような気がします。

私は関西の中堅大学の出なんですが、筆記試験はすべて受けられた記憶があります。

書類選考で落とされたことは無かったですね。

一部の大企業は応募人数が多すぎてあったかも知れませんが。

今じゃ私の大学からは到底入れないような大企業に入り、のちには社長にまでなった人もいます。(ただその人が優秀だっただけかもしれませんが)

リクルーター制

出身大学の先輩が後輩をスカウトするようなシステムもありました。

これは今でもあるでしょう。

入社2年とか3年目の社員が大学の後輩を勧誘するというものです。

これで100%入社出来ました。

あっ、一部の変態だけは無理でしたが。知り合いに1人いました。(決してわたしではありません)

企業は人が欲しい、就活生は入社したい。

WIN WINの関係です。

企業からしたら人間性などの情報ががよくわかるし、面接などの手間が省けることになります。

最後に

就活の時期によって運 不運があります。

リーマンショックの時期や今回のコロナ時期に就活を行っている人はホント大変でしょう。

就職できずに大学を卒業することになる人も出るかもしれません。

でもね

大量採用の時代は入ってからが大変なんです。

アメリカの入試と同じです。

入るのは比較的簡単ですが出るのは厳しい。

沢山の社員の中から選ばれなければ上には行けませんから。

今リストラの候補に挙がっている世代って、この時期に採用された人たちなんですよ。

それまでに辞めていく人もたくさんいましたし。

大量採用の時代に採用された人って能力の差が激しく。

優秀な人は優秀ですがそうで無い人は・・・。

ホント入ってから苦労します。

だから今頑張って入社出来ればそれだけで優秀な人だと思います。

これは日本の入試と同じで入るのは難しいけれど出るのは簡単。

アメリカ型が良いのか日本型が良いのかは分かりませんけれども、一つだけ言える事があります。

それは、大きな企業に入れば安泰という事はなく、それは過去の時代の話という事です。

今は小さくても上記に紹介した百円ショップのように将来伸びていく企業はあります。

中小でも自分に合うところがきっとあります。

最後まで就活をあきらめないでください。

「いい時代に就活をしていた人には分からない」

と言われそうですが、その時代その時代で苦労はあるものです。

苦労は最後には報われるものですよ。

今日の一言

就職に失敗しても人生が否定されるわけではない。

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