来年の公務員のボーナスが減らされるみたいです。
これを見て多くの人はどう思ったでしょうか?
「当たり前!」
「当然」
「民間はもっと減らされている」
「もっと減らせ!」
ほとんどの人は肯定的な意見のように思えます。
ただこの考えは少し違うような気がします。
公務員のボーナスが減った。
気持ちスッキリ。
「ざまーみろ」となります。
でも自分は?
公務員のボーナスは減ったけれども変わった?
人が不幸になっても決して自分が幸せになることにはなりません。
他人が不幸になっても自分が幸せになるわけじゃない【みんな不幸になる】
自分はボーナスが少なくて生活が苦しい。
一方公務員はたくさんボーナスを貰っていい生活をしている。
「恵まれ過ぎだ」
「ついでに退職金も減らせ」
よく叩かれます。
公務員のボーナスが減ったら「よくやった」と拍手喝采歓迎されます。
公務員のボーナスが減らされて自分と同じように生活が苦しくなった。
仲間が増えてよかった。
いや自分よりも下になった。
でも結局生活が苦しい人が増えただけで自分は何も変わりません。
士農工商
江戸時代士農工商と言う制度がありました。
近世の身分制で、武士・農民・職人・商人。 士を最上位とし、商を最下位とする。 儒教的階級観念によって順位づけた言い方。基本的には支配階級である士と被支配階級である農・工・商を区別することで、農・工・商の間では上下関係はない。
厳密には武士とその他の農・工・商との間に上下関係はないとされています。
でも聞いた事がありませんか?
この時代一番搾取されていた農民を納得させるために幕府や大名などの支配者が「お前たちは武士の次に偉いんだ」と2番目に高い地位を与えたと言う話を。
偉い幕府のひとが農民に「お前たちは自分の次に偉いのだ」と言うのです。
商人は金持ちで贅沢しているけど身分は農民の方が上だよと。
商人は自分より身分が一番下。
農民は2番目に偉い。
だから幸せ。
制度が出来て自分より不幸な人が出来た。
農民は喜びます。
人の不幸は蜜の味。
でも農民の生活が苦しいのは変わりません。
他人の不幸を喜んでいたら自分が不幸になっていた
この30年間会社員の平均年収は変わりません。
変わらないどころか寧ろ下がっています。
一億総中流家庭。
今となってはなつかしい言葉です。
ただ平均年収400万円でも今は中流家庭です。
不平はありますけれどもみんな中流と自分を騙して納得しています。
なぜなら自分よりも不幸な人が出来たから。
非正規雇用・契約社員は正規社員よりも不幸です。
平均年収を貰っている人の多くは正規社員だと思います。
自分はだんだん生活が苦しくなっている。
でもそれ以上に苦しい人がいる。
自分はましだと安心します。
でも客観的に見たら30年前よりも貧しくなっています。
気づいたらどんどん生活が苦しくなっていた。
相対的な立ち位置は変わらないけれども生活は苦しい。
全体的にみんなが不幸になっただけなのです。
不幸になる人がいるとみんなが不幸になる
公務員のボーナスが減ったからといって他の人が幸せになるわけではありません。
むしろ不幸になることもあります。
わたしは仕事を辞める前に地方の小売り関係で働いていました。
意外にも公務員のお客さんは高額品を買ってくれます。
地方では公務員の消費量は結構大きいなものがあるのです。
有力な消費者とも言えます。
公務員の収入が減るとその結果地域の消費も下がります。
ますます不景気になり公務員のボーナスが下がって喜んでいた人も収入が減ることになるかもしれません。
まわりに回って自分の首を絞める事になるのです。
公務員のボーナスが減ってざまあみろ。
そう思っていた人も同じ目に遭います。
人の不幸を喜んでも決して自分の生活が楽になるわけではないのです。
今日の一言
人が不幸になっても自分が幸せになるワケじゃない。
コメント
足を引っ張りあいながら互いに落ちていくのが分からないんだろうな