結果を求められないことはすばらしい。
無職になったら誰からも、そして何からも縛られることが無くなります。
いつまでにこれをやってとも言われませんし、決まった時間に出勤する必要もなく、ましてや成果を出す必要もありません。
つまり、明日できる事は今日しなくていい。
なんなら明後日もしなくてもいいのです。
コイツと同じ生活ができます。
わしは今日できる事は今日やるしっかりしたねこじゃ。
だる~と思ったらなにもしない。
そんな生活ができます。
仕事をしていたら少なからず、いや目一杯時間に追われてしまいます。
肉体的にも精神的にも負担がかかっていますが、無職にはそれがありません。
時間に追われない生活ほどいいものは、この世には存在しないのではないでしょうか。
これが人間本来の生き方だと、つくづく思います。
明日できる事は今日やらない。
そして明後日もやらない。
最高です。
今日も明日も明後日も気が向いた時にできる
元来、人間は時間に縛られていませんでした。
お腹が空いたら狩りをする。眠くなったら寝る。
そんな生活をしていました。
それが現在では、眠くなっても寝れない、食べたくなくても昼休みになったら食べる、一日のうち大部分の時間を働く。
一日のなかで自分の好きに出来る時間は、限られています。
もしかしたらそんな時間のない人もいるかもしれません。
多くの人はそんな生活をしています。
仕事に追われ、時間に追われ、まるで古代の奴隷の様です。
わたしも一日12時間くらい働いていましたけど(その内5時間くらいはサボってましたが)、死んだような生活でした。
今ではそんな暮らしからは解放されましたが、ホントよかったと思っています。
それができるかできないかは人それぞれです。
けれども、間違いなく言えることは、時間という概念から解放されることが一番だということです。
明日できる事は今日しない。でもいつかやればいいのです。
思い立ったらいつかやる
無職になったらそんな生活から解放されます。
以前 ベランダの掃除を20年ぶりくらいにしたのですけれども、思ってから実際やり始めたのは1週間後でした。
よし、掃除をしよう
その時は頭の中で思っただけで、体は動きませんでした。
でも、なにも不都合はありません。
ベランダはもう20年も汚れたままなので、いまさら1日や2日、1週間くらい掃除しなくてもいいのです。
結局は1週間後に掃除をしてきれいになったので、結果としては同じです。
ただ、過程は違います。
時間に追われてするのと、だらだらして1週間後にすることは精神的圧力の違いがあります。
時間から解放され効率からも解放されたときに、人は本来の生き方が出来ると言えるのではないでしょうか。
「やらなきゃいけない」と「よしやろう」
同じやるにしても全然違います。
受動的と能動的。
結果は後者の方が優れているかもしれません。
ハローワークは行く
そんな感じですけれども、唯一時間に縛られることがあります。(無職1年目)
それはハローワーク。
求職活動や認定日には行かなくてはいけません。
もし行かなかったらどうなるのか。
それはすなわち死を意味します。
失業手当が貰えなくなり、生活出来なくなります。
明日やったら死んじゃうのです。
死ぬのは嫌なので、嫌々でもやらなければいけません。
世間からはかけ離れた生活だけれども
こんな生活は世間からみたら非常識ですけれども、人間本来の生き方としては正解です。
明日できる事は今日しない。もちろん明後日もしない。いつかやる。
完全なダメ人間の考え方です。
でも、自分がしようと思えば、別に今日してもいいわけです。
ようは自分の意志で動くことが、一番大事なことなのです。
明日でもいいけど、今日しておこう。
逆に、これは明日でも明後日でも別に問題ない。
明日できる事は今日しない、もちろん明後日もは、一種の比喩であって実際は今日やってもいいし、明日でも明後日でも良いということです。
自分の好きなようにやること
これが大事です。
マニャーナの法則
「明日まで待てないほど、緊急な仕事はない」
まあ、会社で全てこれをしていたら首になっちゃいますけれども、程々にやってみるのもいいのではないでしょうか。
すこしは楽に生きられるようになりますよ。
今日の一言
わたしは明日できる事はホントに今日やらない。
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