人は見た目でよく判断されます。
「身なりのいい人はお金持ち、みすぼらしい人は貧乏」
そんな目で見てはいませんか。
人は9割見た目で判断されると言われています。
初対面だと中身が分からないのでそうなるのも当然だと思いますが。
それとともに「肩書」にも人は左右されます。
肩書を持っている人に合うとなんだかすごい人だと感じます。
社長=お金持ち
医者=賢い
政治家=偉い
警察官=正義
反対に
無職=ダメ人間
非正規雇用=負け組
もちろんその通りの人もいるとは思いますが、全部が全部当てはまらないのではないでしょうか。
お金持ちではない社長もいるでしょうし、犯罪者の警察官だっています。
また会社の中にも多くの肩書があります。
平社員<主任<係長<課長<部長<役員
一般的にはこのような役職になると思うのですけれども、上に行くほど能力が高いと判断されます。
でも日本の会社では役職が高いほど人間性に優れ、能力が高いとは言い切れないと思います。
課長・部長・役員でも無能なおじさん・おばさんはいます。
日本の会社は肩書と能力は比例しない
日本の会社は一般的には勤続年数が長くなれば役職も高くなります。
最近では能力主義のところもあるとは思いますが多くは年功序列主義ではないかと思います。
一度その役職を手に入れたらよほどのことが無い限りはそこから落ちる事はありません。
なので現在の役職と能力が釣り合っているとは限らないのです。
一方スポーツや勝負事の世界では「今」の力が全てで実力と地位が一致しています。
相撲で言えば
上に行けば行くほど強く、能力も高い。
弱くなれば横綱は引退、大関以下は陥落になります。
過去には大関まで上り詰めた力士が幕下まで落ちたこともあります。
将棋の世界もそうです。
将棋の実力を見るバロメーターとして順位戦があります。
棋士には段位があり九段>八段・・・・四段の順になっています。ただ九段が四段より強いかと言えば一概には言えません。
四段が九段に勝つこともしばしば見られます。
段位が落ちる事はありませんが、順位は力が無いとどんどん落ちていきます。
九段が一番下のクラスにいる事も起きます。
でも、日本の会社はそうではないのですよね。
もちろんそれまでに努力して掴んだものではあるでしょうけれども、「今」の能力が劣っていても陥落する事はありません。
能力は退化する
人間は年を取ればそれだけ体力も記憶力も衰えてきます。
若い頃は優秀でも年を取れば落ちていく人もいるでしょう。
若い時は天才、年を取ったらただの木偶の坊
でも役職は部長。
能力が無くても部長。
平社員になる事はよほど悪い事をするか、大失敗をする以外はありません。
(最近はリストラはありますけれども)
もちろん部長になる人はそれまで努力もしたでしょうし、非常に優秀だったと思います。
でも「今」がそうとは限りません。
そもそも日本の会社は若い時に働いた見返りに年を取ったら「役職」というご褒美が貰えます。
なんだか年金の様です。
若い時に積み立てていたお金を年を取ってからもらう。
言うなれば若い世代が本来貰えるお金を保険料を仕送りのように高齢者給付に充てるという「世代と世代の支え合い」という賦課方式といえます。
若くして会社を辞めると損をする
日本の会社は若者から搾取して年寄りを養っている。
もちろん入社したてだと能力も実績もありません。
でも10年たっても給料はそんなに上がっていないのではないでしょうか。
能力では役職者より上、でも給料は半分。
20年、30年働いてやっと昔の分を回収していけます。
若くして会社を辞めると損。
転職するとほとんどの人がランクダウンします。
それが今の日本の会社です。
だから無能の役職者が誕生します。
肩書ではなく今の力が大事
その人の「今」を評価する社会。
だんだん近づいているよう気がします。
優秀な人材を確保するために、NECは研究職を対象に、新卒年収が1000万円を超える可能性がある給与を支給すると発表した。
回転寿司チェーンを展開する東証1部上場企業のくら寿司は、2020年春入社の新卒採用で年収1,000万円の幹部候補生を募集。
三菱UFJ銀行が2022年春入社の新卒採用において、デジタル人材などを対象にした採用システムを導入した。能力によって最大年収1,000万円も可能となるという。
能力がある人は若くても評価される。
肩書にあぐらをかいているおじさん・おばさんもうかうかしてられませんね。
今日の一言
年を取っていれば能力があるわけではない。
コメント