怠惰な生活をしようと思ったら逆に規則正しい生活をしている【習性】

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無職生活

会社に行かなくなってもう20日になりますが仕事の不安が全くなくなり精神的に安定した生活をしています。

もう出社しなくてもいいと思えば毎日が楽です。

会社に行っていた時は毎朝決まった時間に起きて出社し仕事をして帰るそんな繰り返しで当然自由には生きていけませんでした。

これもしなきゃあれもしなきゃと仕事に追われていましたがそんな束縛からも解放されています。

体と心のリハビリをしようと一日中ダラダラと生活をしようと思ったのですがいざそんな生活をしようと思ってもなかなかできないものです。

よし遅くまで寝ていよう。

そう思っても毎日決まった時間に目が覚めて起きてしまいます。

ぐうたら

自由気ままに生きて行くのも難しいものです。

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束縛から解放されても新たな束縛を作ってしまう

当初は一日中ごろごろして怠惰な生活をしてやると意気込んで有給生活をスタートしたのですが蓋をあけて見たらなんだか規則正しい生活をしています。

朝7時に起きて夜12時過ぎに寝る。

サラリーマン時代とあまり変わらない生活です。

あんなに憧れていた自由な生活ですがなかなか難しい事に気が付きました。

縛られない自由が理想だったのですが人は何かに縛られていないと生きていけないのかもしれません。

たま
たま

わしは何にも縛られていないぞ。

もちろん過度な束縛はストレスを引き起こしおかしくなってしまいます。

少しぐらいの束縛があった方がいいのでしょう。

自由がいいとは限らない

けっこう自由というのは難しいものです。

毎日する事が決まっていないそこから一日が始まります。

サラリーマンならする事は決まっています。

する事があれば別ですがする事がないなら自由がいいとは限らないかもしれません。

返って自ら束縛を作り出してしまう

何もしない生活を満喫しようと思っていたのですがやってることは逆です。

いつもこれまで出来なかった事をしようと考えている自分がいます。

勉強しようと思ったり

出かけてみようと思ったり

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これって一種の束縛なんじゃないかと思います。

自由に生きようとして逆に束縛を求めてしまう。

何かをしなければいけない。

おそらく根底にはこれでいいのかという不安があるのではないかと思います。

人は何もしないと返って不安になってしまう。

こどもなら「好きな事自由にしていいよ」と言われれば喜んでするでしょうが大人になったらいざ自由にしていいよと言われても躊躇してしまうのではないでしょうか。

これまでの経験や常識がそうさせるのでしょう。

世の中で働けるのに働かない無職は非常識もっと言えば悪として思われています。

特に若い人なら一層そんな感じでしょう。

それが意識の片隅にでもあれば自由気ままに生活する事にブレーキをかけてしまいます。

そしてある程度の束縛を望んでしまいます。

適度な束縛が一番いい

人間適度な束縛が一番いいのだと思います。

ただそんな都合よく社会は動いてくれません。

世の中束縛だらけなのです。

今日の一言

束縛と自由どちらかを選べと言われたらやっぱり自由。

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