働かなくなって1か月がたちましたが時間が経つのは早いです。
無職と言えばダラダラしているイメージがあると思いますが、意外と規則正しい生活が出来ています。
遅くまで寝ていても問題はないのですが、会社に行っていたと同じ時間に起きてしまいます。基本は何の生産性も無くダラダラしているのですけれども。
自由に生きているようにも見えますが、意外と自分で規則を作ってしまいます。
当初は一日のスケジュールを組んで行動していました。ただ今はそんな事も無く行き当たりばったりなのですが、そうだとしても誰にも咎められることなく
気楽です
無職になってかえって規則正しい生活になっています。人は規則に縛られなくなると、かえって自分で縛りを作ってしまうのかもしれません。
一例ですがドイツではほとんど校則のない学校があるそうです。規則が無いと無法地帯になりそうなものですが、意外とそうでもないのです。
ドイツの学校にも校則はある。けれども、わが国の校則とは大きく異なり、それは、学校(生活)における最小限の約束事といった程度のものである。だから、たとえば、始業・終業時間、休憩時間、校庭におけるルールについて規定されているにすぎない。児童・生徒の法的地位や権限領域に触れる事柄は、教育における法治主義の原則により、校則では規定できない建前になっている。
髪型や服装に関するコントロールは、原則として、いっさい存在しない。髪型や服装はほんらい各人の個人的自由・嗜好に属する事柄であり、したがって、これについては、第一次的には生徒自身と親に権利と責任があり、学校運営や授業への支障があるなど特定のケースを除いて、学校は原則としてこれに介入できない、という考え方が法制上定着している。「 ドイツの教育」(天野正治・結城忠・別府昭郎編著、東信堂、1998年7月初版発行)
自分たちで「これはいい」「それはダメ」など判断しているそうです。人は規則が無いとかえって新たな規則を作り出してしまう。
無職も同じで、規則が無いと新たな規則を作り出してしまいます。ただそれは誰からも指図されることのない規則ですから、破ったところで何も罰則もありません。
こんな感じで自由に生きていますから、無職はホントにストレスとはほぼ無縁です。
「適度な規則と自由さ」これがストレスのない暮らしだと思います。
無職はストレスフリーだけどそのために準備するもの
無職はストレスが無いといいましたが、全くない訳でもありません。ただストレスが全くないよりは少しぐらいのストレスはあった方が良いと思います。
何もなければ逆に駄目になってしまいそうなので。
「働けるのに働かないなんて」「だらしないダメ人間」「これからどうするの」など人は口にこそ出しませんが、きっとそう思っているはずです。
おら。働いてわしのめし代を稼げ。
気にしなければいいのですがちょっとは気になります。これは人それぞれで全く気にならない人もいるでしょうから大したストレスではないかもしれません。
あとは自分自身の心の問題です。
「なんかしなくては」「これからどうしようか」などと考えた時に、それがストレスといえばそうかも。
ただ会社に行っている時のストレスと比べたら大したことはありません。
私は自発的に無職になってますが、最近だとコロナで倒産や解雇・早期退職募集などで誰でもが無職になる可能性があります。
そんな立場になったならこう思ったらいいです。
「自由を手に入れた」「ストレスが無くなった」
でもそのためには1つ準備するものがあります。
ストレスなく生活するために1つ準備する事
無職がストレスなく生きて行くためには準備するものが1つあります。
住む家
人が生きていく上で大事な要素と言えば「衣・食・住」ですが、その中でも一番は「住」が一番大事です。
昨年もコロナで10万円の定額給付金がありましたが、それは住民基本台帳に住所が登録されていないともらえませんでした。
給付対象者は、基準日(令和2年4月27日)において、住民基本台帳に記録されている者
もし無職になって住宅ローンが払えなくなった時まず考える事は、お金の事ではなく住む家の確保を一番にする事です。
賃貸でもいいのですが、住む家を持っている事は賃貸よりも心の余裕が生まれます。
私は貯金はあまりありませんが住む家があったから無職になれましたし、ストレスなく生活が出来ています。
もし住む家を持ってなかったら仕事を辞めなかったかもしれません。どうしても我慢できなくなったらおそらく少ない貯金の範囲で家を買ったと思いますが。
もしもの事を考えるなら家を持つことをお勧めします。いまはリモートが普及し始め都会にいる必要性が薄れてきています。地方に行けばさらに安く手に入るはずです。
住む家さえあればあとはアルバイトでも何でもお金を手に入れる事は出来ますよ。
今日の一言
無職と家はセット
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